甲状腺専門医の道に進まれたきっかけ

私は、神奈川県の田舎の温泉町で育ちました。祖父が田舎の開業医でしたので、内科からお産まで診ていました。隣町の熱海で東海道本線の丹那トンネルの工事が行われていたときは、トンネル工事の事故による多くの負傷者の治療にもあたったと子供の頃から聞かされていました。祖父は私が生まれる前に他界してしまいましたが、祖母と叔母から、人のために尽くす人になりなさいと教えられ育ちました。祖父が医師であったこと、人の役に立つ仕事がしたいと考え日本医科大学に進み医師になりました。医師になり診療科を決める際、学生時代からお世話になっていた若林一二先生の誘いもあり、若林先生の下で内分泌の診療に従事しました。内分泌は下垂体、甲状腺、副腎、膵臓と様々な臓器にわたっています。若林先生の専門が下垂体の成長ホルモンだったので、下垂体疾患を主に学んでいました。その後、甲状腺専門の江本直也先生が東京女子医科大学より千葉北総病院に赴任され、私も同時期に千葉北総病院に勤務していので、江本先生から甲状腺疾患の手ほどきを受けました。その後、私は日本医科大学付属病院に戻り、甲状腺の細胞診始め、付属病院での甲状腺疾患の診察のまとめを担っていました。付属病院では、下垂体疾患と甲状腺疾患の診療にあたり、研究では恩師の芝崎保先生指導のもと成長ホルモンの分泌調節、摂食調節機構を研究し、胃より分泌されるホルモンであるグレリンによる摂食促進のメカニズムを明らかにしてきました。その頃、医局の先輩で金地病院副院長の小野瀬博之先生が金地病院に勤務している縁で、金地病院で週1回勤務することとなりました。そして、日本医科大学ではアイソトープ治療ができなかったため、金地病院に治療をお願いしていた頃、金地病院理事長の山田哲先生に金地病院での勤務の誘いを受け、甲状腺専門医となりました。

金地病院はどんな病院?

風通しが良く、内科、外科と言った大病院にありがちなセクションによる垣根が無く、困ったことは直ぐに相談でき、適切なアドバイスを貰えます。私たちも外科の先生たちから、高血圧や糖尿病のコントロールで相談をうければ直ぐに対処するようにしています。このように科の垣根を越えて患者さんがベストの治療を受けられるように尽力しています。また、医師だけではなく、看護師放射線技師、臨床検査技師そして事務職員、皆が同じ方向を向いている”ワンチーム”な病院だと思っています。

日々の診察に向き合う上でのポリシー

私のポリシーは、決して妥協しないことです。人の生命を預かる仕事ですので、妥協すれば生命を脅かす危険もあります。ですから決して妥協しない。そして、迷ったら必ず行動する。迷って行動をしなければ後悔します。自分が迷ったら、必ず行動する。私の座右の銘は、上杉鷹山の「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」で常に前向きに行動するように心がけています。私の出身高校の小田原高校の校是が堅忍不抜、至誠無息でした。至誠無息は吉田松陰が説いた「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」と同じように誠を尽くし生きること、堅忍不抜のどんな困難にも耐え忍び、くじけないことの大切さを説いたこの言葉を、高校3年間毎日のように唱えさせられていました。

甲状腺疾患で悩む患者さまにメッセージ

甲状腺の病域は甲状腺ホルモンが全身に巡り症状を現します。バセドウ病は、動悸、発汗、体重減少、睡眠障害、橋本病は、全身のだるさ、体重増加、むくみなどが挙げられます。このように全身に様々な症状がでるため、他の科を受診し、なかなか診断がつかなった患者さんも多く当院に受診されます。一例ですが、高校生で、最近部活を休みがちで、勉強もしなくなったと母親につれてこられた患者さんは、バセドウ病でした。このように自分でも、どの臓器が悪くて症状がでるのかうまく伝えられない患者さんが多くみられます。また、内科の患者さんは服薬が中心となるので、通院が長期になることがしばしばあります。きちんと検査をし、的確な薬を服薬していけば、日常生活は問題なく過ごせます。ですから私も患者さんの長期にわたる健康管理を念頭に置きながら診察していますので、患者さんから信頼される病院、医師でありたいと思います。

医療法人社団金地病院